サミュエル・サトシ著『ブラインドから君の歌が聴こえる』

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全く情報を入れずに読み始めたので、最初は音楽の話かと思いきや、物語が急変してブラインドサッカー(視覚障害者による目隠しサッカー)の話へ。
前作『マン・イン・ザ・ミラー』で作家デビューを果たした著者に、さらに豊かな表現力が備わっていた。
文章だけで、映画を見ているように脳裏にイメージが浮かんだ。
小説家としての地位を、今作で築くことができたのではないだろうか。
さすがは歌手としても言葉を操る一流のラッパーだ。

私は2013年から毎日国語辞典を読み、その中から気になった語を毎日公表するという『#辞書の旅』に出ている。
せっかくなので小説の解釈を披露したいと思う。
言いまくっていたら暗記もしてしまった。
それはまたどこかの機会で。

小説…

作者の構成力によって、登場人物の言動や彼等を取り巻く環境・風土などを意のおもむくままに描写することを通じて、虚構の世界をあたかも現実の世界であるかのように読者を誘い込むことを目的とする散文学。読者は、描写された人物像などから各自それぞれの印象を描きつつ、読み進み、独自の想像世界を構築する。

新明解国語辞典第7版

私は障害者に同情しない

ブラインドサッカーという競技のことを知らなかったので、私の人生にまた新たな知識を植え付けさせてもらった。

身体障害者に対する個人的感覚としては、彼らのことを「かわいそう」と思うことは、彼らに対して失礼なことだと思っている。
だから私は、街で身体障害者を見ても同情しない(手助けはする)。

私は障害者を「障がい者」という書き方もしない。
そのような配慮なども失礼だと感じている。
似たような例を挙げると、痴呆症を認知症とするのも同じ。
本来の認知の意味とかけ離れている。
違和感しかない。

身体障害者も一人の人間であり、一人ひとり性格も違う。
自身の障害から立ち直れず、一生を絶望したまま人生を終える者もいれば、周りから見れば羨望の眼差しで憧れられる存在の人間でも自ら命を絶つ者もいる。
その逆に、自身の障害から立ち直り、希望を見出して生きがいを見つける者もいれば、周りから見れば大したことに見えない人生でも、近しい少数の人たちと面白く生き抜く者もいる。

「私は弱いから立ち直れない」という人もいるだろう。
それならば立ち直らなければいい。
全員が立ち直れるわけではない。
だが、少なくとも私は、何か絶望することがあっても立ち直ろうとがんばってみるとするよ。
あなたは、好きにしたらいい。

今こうして絶望している1秒1秒は、生きていく上で二度と戻ってこない。
しかし、絶望の丘に希望の花を咲かすことができれば、絶望の日々も懐かしく思えるものだと私は考えている。

明るく生こまい
佐藤嘉洋

追記
この小説を読んでからこの映像を見ると、彼女がいかに凄いかがわかる。