映画『ヘルタースケルター』

ヘルタースケルターとは「しっちゃかめっちゃか」という意味らしい。ググってみたら、ビートルズも「ヘルタースケルター」という同名の歌を出していた。

おお、この歌は知らなかったぞ。よかったら聴いてみてください。ロック調の曲です。

人類みな気狂い

日常ではまともなフリをしているだけで、誰もが狂気を内在させているのではないだろうか。いや仮に、もしも、狂気を内在させていない人がいたとしよう。それはそれで狂気の権化のような気もする。

夢野久作の伝説的な名言が思い浮かぶ。

人類みな気狂い

まともな人なんて一人もいないのである。みんな狂っている。それを表に出すか、内に秘めるかの違いである。がんばって狂気を抑えている人は、狂気を抑えずに奔放としている人が羨ましい。だから少しでも道から外れると、途端に人殺しかのように怒り狂う。秘めた狂気が噴出する瞬間だ。怒りには常に、羨ましさ・妬ましさ・憤りが含まれている

確かに沢尻エリカは法を犯した。罪は裁かれるべきだ。しかし、彼女自身のキャリアは傷ついても、彼女の作品には、私の中では何一つ傷ついていない。素晴らしいものは素晴らしい。くだらないものはくだらない。トロくさいものはトロくさい。作品がこの世に出された瞬間に、本人のことと作品の評価はまったく関係ないものになる、と私は考えている。

沢尻エリカの、この圧倒的美貌を見よ!

image-映画『ヘルタースケルター』 | 名古屋池下のキックボクシングフィットネスジム

「別に…」という歴史的名言を残した彼女が、もう一度芸能界を生き抜いていくんだ、とあらゆる覚悟を決めて努力を重ね、自分の中の狂気をそのまま主人公のリリカに投影し、憑依させ、類稀なる傑作を生み出した。文字通り体当たりの演技、美しい乳房、艶かしい肢体、透き通るような白い肌。沢尻エリカという圧倒的な美を見るだけでも、この映画には存在価値がある。

老いの恐怖

リリカの完璧な身体が徐々に壊れていくさまは、手術やドラッグによる影響の恐怖だけでなく、加齢という老いの恐怖をまざまざと描いている気がした。たしかに若さは、人にとって大きな武器だ。男は歳を取れば力仕事も徐々にできなくなり、女は自然に子供を産める時間に限りがある。

(どうせなら)いつまでも若々しい存在でありたい、というのは人として当然の欲求だろう。特に女性には、美を追求する人も多い。しかし果たして、『美』とは容姿だけなのだろうか。

若い時分、モデルとデートしたことがある(どうだ! うらやましいだろ! えっ? そんなことない? それは大変失礼いたしました。なにとぞ、ご了承ください)。

image-映画『ヘルタースケルター』 | 名古屋池下のキックボクシングフィットネスジム

その女性は誰もが振り向くような美人だった。しかし二次会へ向かう途中、酔っぱらったその女性は道路にペッとツバを吐いたのである。その瞬間、芽生え始めていた私の恋心はさあっと冷めたのであった。つまり彼女のことを、容姿以外には何ら魅力を感じていなかったのだ。美貌はあっても愛嬌はなかった

容姿は中身の一番外側

深津飛成さんのツイッターから

とはよく言ったもので、たしかに容姿には中身が反映されているように感じる。底意地の悪そうな顔の人は、底意地の悪い人が多い気がする(もちろん良い人もいる)。

容姿は時とともに確実に衰えていく。そこしか自分の魅力がなければ、そのまま朽ち果てていくだけだろう。しかし中身は、死ぬまで成長させられる。自分の心持ち次第でどうとでもなる。

中身を魅力的な人間にするためには、本を読み、人と話し、師に習い、夢を持ち、友と笑い、恋に泣き、愛を育むことだ。
中身を魅力的な人間にすることができれば、容姿はそこそこ勝手についてくる。容姿は中身の一番外側なのだから。

狂気をもって常識の範疇を超えるからこそ

沢尻エリカ扮するリリカは、自分の魅力は容姿しかないと思い込んでいたのだろうか。「やってやるんだ」という向上心も、一度方向を誤れば破滅の道へまっしぐら。昇り調子のときの周りの熱狂と、いとも簡単に翻る手のひら。その先は地獄だとわかっているのに、それでも自己顕示欲、承認欲求に駆られ、露出の多い方多い方へと引き寄せられていく……とてもまともではいられない。

家族に仕送りをしたり、実の妹への心遣いは、リリカの人間としての優しさだと私は捉えた。その優しさは大きな魅力といえる。本人は、自分の根っこにあるその優しさに気づけなかったか。いや、周りが、気づけなくさせてしまったか。勘違いしてしまうことは、世にも恐ろしいことだ。くわばらくわばら。

社会的に見れば、自分という存在の代わりなどいくらでもいる。どれだけ突き抜けていたとしても、結局は誰かがその座につく。

image-映画『ヘルタースケルター』 | 名古屋池下のキックボクシングフィットネスジム

そう、沢尻エリカが圧倒的美貌を持っていたとしても、である。

芸能界に用意されている椅子は驚くほど少ない。その役目にたまたま今はその人がいるだけで、その人がいなくなれば、すぐに違う誰かがその椅子に座ることになる。だからどんなに過酷な条件でも、本人はそこにしがみついていたいし、周りは本人の凋落を願いはせずとも虎視眈々と機会を伺っている状態。

まともな神経ではやっていけない。狂っているか、あるいは自ら狂わせなければ生き残れない。また、狂気をもって常識の範疇を超えるからこそ、作品は魅力的になり、人はお金を払ってくれるのだ。

日常では狂気を抑えてまともなフリをし、作品の製作中にだけ狂気を注げるタイプもいる。そういうタイプばかりであれば理想なのだが、おそらくレアなケース。なかなか難しい。尊敬する人たちだ。

沢尻エリカを許せない人たちへ

image-映画『ヘルタースケルター』 | 名古屋池下のキックボクシングフィットネスジム

若かりし頃には30億分の9の勝負を勝ち上がり佐藤嘉洋ランキングにもランクイン

沢尻エリカをどうしても許せない人たちへ。

さぞかしあなたはまともで清廉潔白な素晴らしい人生を歩んできたのでしょう。
私のような薄汚れた人間は、とてもじゃないですが、あなたとうまくやっていける気がしません。
しかし真っ白い心のキャンパスを持つあなたにも、明日思わぬ形で、その綺麗なキャンパスを汚してしまうかもしれません。
そのときあなたは、自分がこれまで誰かを蔑んできたように、同じように自分を蔑み、傷つけるのでしょうか。

私は、一芸能人が遠くで犯した罪に対して、いちいち責め立てて正義を振りかざす時間を自分の人生に持ちたくありません。それよりも、常軌を逸した狂気を感じさせる作品を見て、唸り、心を奮い立たせ、明日の仕事をがんばりたいのであります。

なにとぞ、よろしくお願いいたします。

明るく生こまい
佐藤嘉洋