映画『若者のすべて』

アラン・ドロンという超絶イケメンを見たことがありますか?

image-映画『若者のすべて』 - 名古屋池下のフィットネスキックボクシングジム

武田邦彦先生のご縁で知り合った川崎の友人から送ってもらったDVDを鑑賞。
本社住所の『ぶる~と整体院』に届いたのだけれど、受付をしている私の母親に

「わあ! アラン・ドロンじゃない。久しぶりに見たいわ。ちょっと先に貸してよ」

と有無を言わさずに奪われてしまった。
年老いた母親の乙女心でさえも鷲掴みにしたアラン・ドロン、只者ではない。

image-映画『若者のすべて』 - 名古屋池下のフィットネスキックボクシングジム

たしかにとんでもないイケメンである。
私の記憶の中のイケメンは、レオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットあたりが最初だ。
そのあとにジェームス・ディーンやアラン・ドロンの存在も知ったが、リアルタイムではない。
そりゃあ現代でも全く引けを取らないこんなイケメンが白黒時代の映画に出てきたら、当時1960年代の日本では卒倒する女性も相次いだことだろう。
私の恋愛対象は女性だけれど、アラン・ドロンのイケメンっぷりは、男性の私からしてもため息の出るほどであった。

「ひょっとしたら、親知らずを4本全部抜いたことで自分の顔がアラン・ドロンみたいに代わったら……」

そんな妄想をしていると、めちゃくちゃ楽しい。

自分の人生、他人の人生

映画の内容は、イタリアの貧しい地域から母親とその子供たち(何人かは成人しているように見受けられた)がミラノに居住地を移し、そこでの生活における理想と現実が描写されたもの。
都会の人間と田舎の人間との諍いもある。
しかし田舎の人間の卑しい感情も、都会の人間の反感を買ったりもしていて、あながち都会の人間だけに原因があるというわけでもない。
ただし、都会の人間は洗練されているが、そこには非情さも内包されているようにも感じる。

演技や脚本などは、白黒時代の映画ということもあり、現代と比べる粗の多さは残る。
しかし、伝わるものはビンビンと魂に伝わった。

栄光と挫折。
貧困による横柄さ、卑しさ。
怠惰との葛藤。
才能への嫉妬。
堅実ゆえの怒り。
優しさと甘やかし、そしてつけ上がり、堕落、凋落。

自分の人生も、他人の人生も、いったいどこが分岐点となり、どうしてここまで違う道、あるいは違う考えになったのだろうか。
深く考え込んでしまう。
ちょっとボタンの掛け違えがあれば、人生は全く違うものになっていたかもしれない。

ひょっとしたら、大学生のときにキックボクシングを辞めてサラリーマンになっていたかもしれない。
ひょっとしたら、名古屋から東京へ出ていたかもしれない。
ひょっとしたら、フィットネス中心ではなく選手育成も並行していたかもしれない。

ひょっとしたら、ひょっとしたら、ひょっとしたら……と無限に続く。

当然、運による要素もあるであろう。
自分の成功を、すべて自分の実力だと過信する者は傲慢だ。
しかしながら、傲慢であるがゆえの強さというものもある。
傲慢なら傲慢で構わない。

挫折から立ち直れず、ひねくれてしまう人もいる。
自虐的になって同情を集め続けていると、人は「いつまでグジグジしているのか」とポツポツ離れていく。
そうなると今度は、他人を攻撃したりすることで自分の存在を認識させ、曲がった形で自尊心を満たすようになってしまう。
非常に勿体ないと、個人的には感じている。
私はなるべく『都合のいい禅』の思想で生きたいと思っている。
しかし他人に強制させようとも思っていない。

ひょっとしたら、明日自分の顔がアラン・ドロンに代わっているかもしれない。

ああでもやっぱり、40年近くかけて味の出てきた自分の顔でいいわ(妥協)。

明るく生こまい
佐藤嘉洋