永倉尚樹著『未来を拓く直観力』
山のてっぺんの景色はみな同じか
直感と直観は違うということを著者は語っている。
私の中での直観は、よく講演などで『勇気のカケラ』という言葉で話している。
言葉が違うだけで、伝えたいことはとても似ていた。
宗教などにおいて、仏陀、キリスト、神、ヤハウェ、アッラー、太陽、宇宙、地球、月、超常的な何か、サムシンググレートなどなど、おそらくそのおぼろげながらも絶対的なものは、ほとんど同じだと考えている。
いろいろな分野でのトップクラスが見た景色というのもまた同じように感じる。
その頂上までの登り方が違うだけで、山のてっぺんはほとんど同じなのではないだろうか。
著者のような経営者、あるいはアスリート、歌手、芸術家などが見る頂上の景色は、わりと似ているのではないかと私は考察している。
魔裟斗戦が転機なのか
文中にもあったように、人生というのは選択の連続である。
先日、知人のバーで「佐藤さんの転機は何か」という話になり、「一般的に見れば魔裟斗戦ですかね」と私は答えた。
そう、一般的に見れば、である。
なぜなら私の人生は、魔裟斗戦がすべてではないからだ。
よしんばそこが人生最大の転機だったとしよう(私はそう思っていない)。
そこにたどり着くまでの日々の間、私はおびただしい数の選択をしてたどり着いている。
途中で何か違う選択をしていたら、あの戦いにたどり着いていないかもしれないのだ。
中学校のときに塾をさぼってラーメンを食べに行っていなかったら、私はその日の塾での勉強で目覚め、キックボクシングにハマらずに名古屋から東大に行っていたかもしれない。
あそこで彼女をないがしろにせずに大事にしていたら、今の妻とは結婚せずにその子と結婚し、K-1には行かずにムエタイで一時代を築いていたかもしれない。
そしてめちゃくちゃ面白い息子・綜亮(そうすけ)や、めちゃくちゃ気の強い娘と会うこともなかっただろう。
人生というのは可能性に満ち溢れている
人生というのは、可能性に満ち溢れているのだ。
良きにしろ、悪きにしろ。
また、それを良いか悪いかを判断しているのは、他ならぬ自分自身なのである。
そう思いながら生きていると、たったの一日だって無駄にはできないと感じる。
もし無駄にするならば、目一杯無駄にしよう。
そして「ああ、今日はとことん無駄な一日を過ごして充実していたなあ」と思いたいのである。
よき出会いを! そしてよき人生を!
明るく生こまい
佐藤嘉洋