森達也著『たったひとつの真実なんてない』
オウム真理教による地下鉄サリン事件があったあと、著者はその教団本部に直接入って撮影した。
そのドキュメンタリーは地上波TVに乗ることなく、自主制作映画として著者自らカメラを手に取った。
私もその映画や書籍化されたものを読んだが、メディアが伝えるオウム真理教のイメージとはかけ離れたものだった。
みなが一様に抱いていた気狂い集団というわけでもなく、案外普通の人々だったのだ。
すぐ隣を歩いている人と大して変わらない。
しかしそれでは地上波的には面白くないから、狂っている部分(人は誰しも他人とは違う狂った部分がひとつやふたつはあるだろう)を切り取って報道した。
著者はそれを糾弾しようという気持ちもない。
メディアはある物事のある一面を切り取って伝えているだけなのだ、ということを知るだけで人生はガラリと変わってきますよ、ということを提示してくれているだけである。
メディアの情報がすべてだと勘違いしていたら、メディアに振り回されたままの人生を過ごすことになる。
私は個人的にはそれはイヤである。
だから、物事には必ず色々な側面があるのだと考えるようにしている。
物事は一面的ではない
森達也さんのことを知ったのは2013年。
講談社から処女作『1001のローキック』を出版したときに、担当編集だった田丸さん(現代ビジネスの連載も紹介してくれた)から、森さんの『いのちの食べ方』を参考文献としていただいたのがキッカケだ。
先程も書いたように、森さんがいつも一貫して伝えているのは、物事は一面的ではなく、多面的であるということ。
そして私はむしろ、物事は一面的ではなく、球体である、とも考えている。
つまり無限の見方があるということ。
どれだけ客観的に中立を保っているような報道でも、必ず主観というものがある。
だから森さんの主張でさえ、客観的でも中立でもなく、森さんの視点で語られていることを自覚しなければならない。
ただし、森さんには物事をなるべく客観的に見ようという姿勢がある。
私は個人的に森さんのそういう視点・姿勢が好きなのである。
2016年には同じ講演の機会に呼ばれ、名刺交換をさせていただいた。
たま~にメールでもやり取りさせていただけている。
いつか一緒にお話をしてみたい方である。
もっとがんばろう。
クラス投票で1位を取ったものとは
子供の頃から私も森さんと似たような視点の持ち主だったのかもしれない。
オウムのサリン事件が起きたとき、まだ麻原は容疑者だったにも関わらず、TVも世間も麻原彰晃を完全に犯人扱いしていた。
私は納得できなかったのだ。
容疑者というのは疑われているだけで、本当に罪を犯したかどうかはまだ定かではないからだ。
私はクラス中はもちろんのこと、先生や先輩にまで伝え回った。
「容疑者の段階で犯人扱いするのはおかしい!」
実際に逮捕されて麻原の犯行が明らかになったとき、周りから「そらみろ! やっぱり犯人だったじゃないか」と先生にまで戒められた記憶がある。
だが、私はまったく意に介さない。
「だから何だ。あの時点では容疑者だったんだから、みんなして犯人扱いするのはやっぱりおかしいよ!(タメ口)」
当たり前のことを言っていたはずなのに、まるでオウム真理教の差し金かのように皆から思われていた。
おかげさまで卒業アルバムのクラス投票で、麻原彰晃の手下になりそうな人でダントツの1位を取りました。
これ、時代が時代なら大問題になるよね。
でもこのくらい自由な時代の方が住みやすい。生きやすい。見事1位を取った私が言うのだから問題ない。
バカにされても、それさえ楽しんでしまおうという気概を持てば、怖いものはぐっと減る。
私は、意に介さない。
自分が正しいと思った通りやってのけようという積極的な気力を持ちたいと常日頃から心がけている。
これは辞書による勇気の解釈の一部である。ついでなので全文公開しよう。
勇気…普通の人が不安・恐れを抱いたり、躊躇・恥ずかしさを感じたりするところを屈しないで、自分が正しいと思った通り やってのけようという積極的な気力。
新明解国語辞典第7版
#辞書の旅
明るく生こまい
佐藤嘉洋