道尾秀介著『いけない』
小説でしか表現できないことを道尾秀介は表現できる。
数少ない作家の一人である。
映像メディアが大きく発達する中、文字だけで表現し、人を惹きつけるのはとても難しい。
人は基本的には楽な方、楽な方へと流れていくのが常。
映像メディアであれば、いちいちページをめくらなくても済むし、放っておけばどんどん情報を取り込める。
本はそうは行かない。
自分の意思で読み進め、自分の意思で世界を構築し、登場人物の顔や声まで自分の意思で想像しなくてはならない。
100人いたら100通りの登場人物の顔や声があるのである。
妄想癖のある私にはその方が楽しい。
道尾秀介は、そこらへん(登場人物の顔が見えない、背景も見えない)を憎らしいほどにうまく使っているのである。
初めて読んだのは『向日葵の咲かない夏』。
純粋に天才だと思った。
また、『カラスの親指』『笑うハーレキン』読ませていただいたが、どれも面白かった。
今回の『いけない』もグイグイ読み進んでしまって、遅読の私でも3日で読み終えてしまった。
普段は哲学書や経営指南書などを中心に読んでいるから、たまには小説もいいもんですね。
根本的な哲学を学んでおくと、同じ小説を読むのでも、登場人物の人間模様や精神がよりわかるような気もする。
1のことから1学ぶのか。
1のことから10学ぶのか。
私は1つでも多くのことを学ぶ人生でありたい。
毎日、すべてが勉強である。
明るく生こまい
佐藤嘉洋